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■「店主たわごと」過去ログ > 2006年8〜12月 > 2006年7月 > 2006年6月 > 2006年4〜5月 > 2006年1〜3月 > 2005年10〜12月 > 2005年9月 > 2005年8月 > 2005年7月 > 2005年6月 > 2005年5月 > 2005年4月 |
2005 / 6 / 30
『熟練』と言ったって昨日も今日もまったく、何も変わり映えのしない反復じゃバカの一つ覚えになっちゃうじゃない。ほんのちょっとでも昨日と今日と変えてみればいいじゃない。たとえ周囲からなんにも変わらないようにみえる些細なことでも。うまくいかないことの方が多いかもしれないけど、それでいいじゃない。別にお前が天才というわけじゃないんだろうし。凡人だって考え続けて、悩み続けていれば、やがて必ず糸口は見えるもんだよ。そして、そんな些細なことを続けられないのが人間。だとしたら、こんなことを延々と続けた先に『非凡』が待っているんじゃないか?もしかして。2005 / 6 / 29
『熟練』ってどういうこと?来る日も来る日も飽き足らずに反復すること、これができれば素晴らしい!できないんだ、これが。飽きるんだよ人間って、あきらめるんだよ人間って。だけど、ある程度のところまでなら誰だって掘れる。問題は硬い岩盤にぶつかってもなお掘り続ける、それができる人間が少ないんだと思うけど。愚直と言われても、結局こっちの人の方が熟練して、こんな人を「一芸に秀でる」と言うんではないか?そして、人間にも深さが出たりなんかして。2005 / 6 / 28
新入社員の即戦力化は重要なことだ。何事につけても「手早さ」を求められる。"まだまだそんなに早くなりませんよ"、なんてことを思っているから手早くならない。大事なことは『常に早くなると思う』、コレ! どんなことだって『思わないこと』はできっこないに決まっている。『思っている』から事は成就する・・・・・・・・・・ 当たり前すぎるって?だからなんにも分かってないんだよ、お前!
従業員にはうまいこというね、オレも。
2005 / 6 / 27
経営者なんて職業は本当の対価として時給計算したらとてつもない金額になるんだ。マイナスからスタートして、否応なく味噌もくそも一緒にしたような火の車。なんとか落ち着いたと思ったら、今度は『人のため』なんて偽善が心を覆うようになってしまって、その呪縛から逃げれないようになってしまう。 結局のところ、給料なんてそれほど大きなもんじゃなくなってしまう。だからこんな程度でいいんだ、俺は。2005 / 6 / 26
22年前、小さなスナックでたったひとりの社員を雇い入れた。初めての正社員。そのとき思ったことは今も忘れない。『もう逃げられない!第三者を雇い入れてしまったらもうおしまいだ。もう後戻りできない!』 なんであれっぽっちであんなことを思ったのだろう? 商売なんていかにも金儲け・・・・・その通り、否定しない。だけど言わせてくれ、それだけで商売なんてできっこないんだ。長く続けることなんてできっこないんだ。自分はいいけど、なんとしても守ってやらなきゃ・・・・って思うの、これ普通の経営!だよ。2005 / 6 / 25
10年以上のキャリアが数人いて、こんなちっぽけな会社にしては多い方だ。なにが何でも会社をつぶすわけにはいかない・・・・と思っていたのも束の間、最近25の若造のくせしてできちゃった結婚した社員がいる。それにつられてか、オレもという奴まで出てきた。気が重くなる。こんなこと、連鎖反応するんじゃねえよ!だって養えないじゃないか、こんな程度では。もっと大きくしなけりゃお前の給料は上がんないぞ、絶対!!!!!!!!2005 / 6 / 24
僕にとって最も怖い職業が教育者。実社会に飛び立つまでの基礎的人格が培われる場が教育の場とすればなんと恐ろしい職業だろう。自分の何気ない言動が個の人格形成に影響を与える。聖職でなければ、と思うのは私だけだろうか?そういう自分は経営者という職業にいる。もう20年以上の付き合いの奴もいる。もしかしたら教職よりもはるかに大きな影響を与えているかもしれない?まぁ、ここまで来ればクサレ縁、会社が存続する限り最後まで面倒見る!それで勘弁してくれ。
2005 / 6 / 23
新卒採用説明会で話をすることのひとつに、『働くことの意義は自分のことだけではなく、人のためになること、役に立つこと』と伝えている。先日の選考会でのこと、ひとりの学生がこんなこと言った。『自分はどうやって人の役に立つことができるんだろうと考えてはみたが、どうしても利己的な方にいってしまう。大学で先生に相談しました。そしたら先生は、 "そこの社長は給料をいっぱいもらっている人だから言えるのであって、基本的に人間は自分のために生きるもんだ"と答えた』という。瞬間、ムッとした。なんということだ。これから社会に飛び出そうとする学生に伝えるべきセリフなのだろうか?教育者として相応しい言葉だろうか?甚だ疑問に思う出来事でした。2005 / 6 / 22
昨日は南25条店のコンパが夕方からあった。暑くなってきて、本当に久しぶりの野外・・・・とはいっても駐車場の陰でお客様に見つからないようにコッソリと、だってまだ営業中ですから。9時頃に着いたら、ご飯支度を早めに終わらせたパートの母さんたちもみんないる。学生もここぞとばかりに全員のようにいる。肉からホタテ、時知らず、カキ、いかETC・・・・随分いつもより豪華じゃないか!
営業も終了して全員揃って、"カンパーイ!" 、"カンパーイ!"いつものように乾杯のラッシュ。背後の藻岩山が必要以上に屋外気分にさせる。盛り上がり絶好調!そこの酔っ払いのキクチ、はしゃぎすぎだっちゅうの。カタベ、眼が座ってるちゅうの。
ん?パトカー? "ご近所から寝られないと苦情が入っています。早めに終わらせてください" "すいませ〜ん"
ほら見ろ怒られた。ここは180万の大都市だぞ。オレ?オレは今日飲んでないもん、歯が痛くて。うるさくしてないも〜ん。
2005 / 6 / 20
普通、人は不明瞭なままで納得している・・・・・というより、納得したフリをしている。都合の悪いことはできるだけ自分を見つめないようにして身を守ろうとしている。今まで生きてきた処世術とでもいうべきか。ある期間まではこれでも永らえることができるだろう。しかし、永らえた時間数分だけ自分の成長を止めてしまっていることも事実だろう。 自分の人生ではないか、納得の道を歩きたい。2005 / 6 / 19
人育てのコツはこれがいいと最近思っている。"なんで?""どうして?""それで?"と答えに対して質問を繰り返す。 やがて返答に困るところにぶつかる。そこが理解のできていないところ、『納得』のできていないところ、不明確なところ。つまり成長させない原因を突き詰めた瞬間。原因が分かれば後は解決の道筋を示してやればいい・・・・・・・・・・・えっ?そんな難しいことに悩むなよ、俺だって分かんないんだから。2005 / 6 / 18
幹部社員が"何回言ってもわからないな、お前"と、いつも怒っている。だけど、『分かるところまで納得させているの?』と聞きたくなる。だって、何回言っても分からないんだったら何か他に原因があるんじゃないの?おんなじ事ばっかり言って違う切り口はないの?何が分からないのか、もっと突っ込んで聞けばいいじゃない。何回も"なぜ?"って聞いたら何が分かっていないのか見つかると思うよ。2005 / 6 / 17
人の成長も仕事の出来も随分個人差がある。どうしてこんなに?と思う。ひとつの捉え方として『納得度の違い』を感じる。"こうやってがんばろう!"と言ったら"ハイ"と小気味よく返事をする。よくよく見ていると「こうやって」が違う方向にいっている。あのときの"ハイ"はどういう意味だったんだろう?この食い違いは誰のせい?本人?いや、上司のツッコミのせいではないか?
2005 / 6 / 15
何年も何年も商売をしてきたのに全然大きくなれなかった。本当に店1軒しかならなかった。今、4軒目がなんとか開こうとしている。パートアルバイトも含めて従業員が200人以上になった。自分ひとりでは何ひとつできないということをあらためて知る。これも「人のためにがんばる」なんてことを思うようになった原因のひとつだろう。2005 / 6 / 14
「人のためにがんばる」なんて身体中かゆくなって言えなかった。大体が従業員の前では心にもないことを言えるタイプではない。自分の実践が伴わないことも言えるタイプではない。ところが、いつのころからか「人のため」と自分に思わせようとしていることに気付いた。人間というのはおかしなもんだ。無理矢理でも繰り返し思っているうちに、"そうでなければダメなんだ"と思うようになってきちゃっている。事の発端のすべては稲盛塾長の教えから。2005 / 6 / 13
我々はお陰さまで忙しいこともあって、飲食店としては器の大きさと比較すればかなりおおきなオペレーションになっている。大人数になればなるほど個々のモチベーションが下がる。つまりお互いが依存するようになる。『俺ひとりくらい』 の心理になる。そのとき、「店は生きている」状態から遠のくようになる。だからといって、個が欲に走るような人参をぶら下げる手法でモチベーションを上げるのは長続きしないだろうし基本的に性に合わない。もっと純粋にお客様に喜んでもらう心で回るオペレーションにしたい。理想は「人のためにがんばる」ことに喜びを感じる集団。2005 / 6 / 12
「店は生きている」という表現は昔、随分多用した。経営というスタンスがトップたったひとりであることに苛立ちを覚えて"可もなし不可もなしの仕事はするな!"と言っては怒鳴り散らした。"こうやった方がもっとうまくなる""こんな新商品をやってみよう" と、たったひとりで商品力にこだわり、POPの字体から色使い、コメントの一言一句までたったひとりでこだわった。人、商品、店、すべてをひとりで実践と指示と命令で店を動かしていたとき、"店は無生物ではないんだ。明日も明後日もその次もその次もお客様に来てもらわなけりゃならないんだ。そしたら店は生きていなきゃならないんだ。だって死んだような店に、また来てもらえるわけないだろ!"と、いつもボルテージは上がりっぱなしだった。要はそのくらい経営がヒッパクしていたということ。今は、目標に真正面から立ち向かうことで保たれている・・・・・・・・・?2005 / 6 / 11
11年前に根室で素人同然で回転寿司を始めた頃、人口3万人強の町ではかなり繁盛店だった。だからといって経営は月末を心配しながらのハラハラだった。売上を上げようにも陸の孤島とも揶揄される町には、ちょっきりの人口しかいないようなもの。毎日毎日、"こうしてみよう、ああしてみよう"の連続。そうしたら、1年に一度のお客様が半年に一度になり、1ヶ月に一度来てくれるようになった。「昨日と同じ仕事をしない」という創意工夫の精神がなくなれば店はやがて死ぬ、ジリジリと。2005 / 6 / 10
何回も来店してくれるお客様も結構いる。来店経験が増えれば当然お客様も飽きる。それでもまた来ていただこうと思ったら、昨日と同じではだめだ。なんでもいい、どんなちっぽけなことでもいい。お客様には感じない、見えないような些細なことでいいから昨日と変わっていなければならない。それで初めて「店は生きている」と言える。2005 / 6 / 9
「仕事人間」のような人生を送って定年退職した後、抜け殻のようになる。だから趣味や何か生きがいを現役の内に見つけておいた方がいいと言う。それも人生で否定するものではない。 ものすごく大きな会社の創業経営者がやがて事業継承のときを迎えて世代交代をした。トップだったときには声にも迫力があり、聞くたびに勉強になった。しかし、最近はどうも違うように思う。一方で盛和塾で稲盛塾長に会うと益々言葉に重みと深さを感じそれは計り知れない。塾長は「働くこと」を通して心を高めることを説き、生きることそのものを魂の進化、純化と説く。働くことは我々が普通に思っている程度のことではないように思える。私ごときにはできない芸当としても、もし、現役引退しても尚、心を磨こうとする姿勢が消えないようにするためには、「働くこと」で人生の本質を追求しなければ ダメなのかもしれない。まだまだ先のことではあるが、価値ある人生を送るためには50の若造の内から視野に入れて働かなければ。
2005 / 6 / 8
若かりし頃、働くことより遊ぶことの方が大事だった。自分が遊びたいがために働いていた感がある。しかし、そうではなかった。働けること自体が素晴らしいことだ、ありがたいことなんだ。働けることはイキイキとした人生そのものだ。あの、無職のころを思い出せば、人間から働くことを取ってしまったら生きる屍なのかもしれない。どうしてだろう?人間が自分のエゴだけのために働くのだとしたら、どこまでがんばって働ききれるだろう?違う、たぶん違う!人間が働く理由の大元は「誰かのため、自分以外の何かのため」だから働き続けられるのだろうと思う。
2005 / 6 / 7
椎間板ヘルニアのため1ヶ月くらい休んでいる社員がいる。"ひとりでウチにいて休んでいるといいこと考えないんです。本当に悪いことばっかり考えちゃうんです"と、頭が重そうに言う。思えば25才くらいのころ、仕事がなくて3ヶ月くらいずっとひとりでウチにいたことがある。そのとき、本当に滅入った。何ひとついいことが考えられなかった。ただただ自己嫌悪に陥るだけ。自暴自棄になるだけ、おんなじだ。後から気付いた。「働けること」はなんと素晴らしいことか。 みんな職場で嫌なことがあれば腐る、投げやりになる。思い通りにならなければ職場から逃げようとする心理が働く。 そうではないんだ、解かれ! 働けることは素晴らしいことなんだ!
2005 / 6 / 6
いくら「部門リーダー制」などと言ったって、会社はトップの力量以上になりっこないのだから、店舗だって店長の力量以上になりっこない・・・・・・・・と、最近つくづく思う。仕組みなんて所詮「形」だけ。仕組みに魂が入らなければ店は「生き物」にならない。分かってくれ!2005 / 6 / 5
部門リーダー制を取り入れて社員が今まで以上に頑張るようになった。こりゃいいことだ!と思う・・・・・半面、じれったいと感じてしまう。なにがって、ゆったりしているから。今まで「強引にやらせる」という手法を多用しながら経営してきたオイラにとって、優しさはのんびりに見える。どうして?どうしてこんなにスタンスが違うの?と思えば、創業時から何年もの間、明日の支払いに焦りながらギリギリで生きてきた、その性癖が染み付いてしまったせい、たぶんそうだ。 しかしこれってかなり重要!2005 / 6 / 4
たったひとりのパートさんだって我々には大きな戦力だ。雇い入れたら、基本的には切り捨てないというのが僕の考え方です。当然のことながらいろんな人が入ってくるわけだけど、基本は辞めさせないのがモットーです。仕事ができるできないだけで辞めてもらうことができない性格です。そんなんで経営なんてできないといわれるかもしれないが、よっぽどのことでもなければできない性格。なんとか分かってもらおうと挑みます。相手が逃げても挑みます。説得に説得を重ねてわかってもらう努力をします。そして、考え方の相違が見え、相容れないと判断したら、それはしようがありません。2005 / 6 / 3
打ち合わせのため、とある大手ファミリーレストランに入った。"ご注文はお決まりでしょうか?""メニューお下げします""お待たせしました、ご注文の○○お持ちしました""お水お注ぎしましょうか"・・・・・・・・・うるさい!今、大事な打ち合わせ中だ!少しはこっちの気配を感じろよ!・・・・・・そう思いながら店を出て、自分のところで食事をした。おしぼりを持ってきて"いらっしゃいませ""ごゆっくりどうぞ"。何のためらいもなく人の会話の中に土足のように入り込んでくる。おまけに何の感情もない決め事セリフ。なんだよ、おんなじじゃないか、どういうことだ? まったく・・・・・・・・言えば言うほど自分にオウム返しで返ってくる。
2005 / 6 / 2
ひとりの新入社員がシフトを無視して朝一から出勤してくるようになっている。この前の新入社員研修で彼が こんなことを言っていた。"先輩があんなに一生懸命頑張っているのを見て、自分ももっと頑張らなきゃと思いました"あらためて思う。人の心が動くのは理屈ではない!やっぱり周囲が感じるくらいの生き方をしなければ・・・・・つくづく思った。そしてまた、一生懸命な、必死な生き方には理屈抜きに感じるくらいの真っ新な素直さをいくつになっても失くしたくないと・・・・・・・・いいだけくすんでいるからさ。
