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■「店主たわごと」過去ログ > 2006年8〜12月 > 2006年7月 > 2006年6月 > 2006年4〜5月 > 2006年1〜3月 > 2005年10〜12月 > 2005年9月 > 2005年8月 > 2005年7月 > 2005年6月 > 2005年5月 > 2005年4月 |
2005 / 12 / 23
今期のテーマ「考働する」にあたって、重要な要点として『お客様から観る』を上げた。『お客様から観る』ことがどうして必要なのか?
あなたがお客様の立場に立ったとしてもあなたの価値観でしか見れない。"私はこんなことをされとすごくイヤで、こんな接客をされるとすごくうれしい"といったところで、それはあなただけの価値観。現実は、なんで?と思うようなことさえもクレームになったりする。ということは、あなたと違う価値観が山ほどあるということ。十人十色なのだから当然といえば当然のこと。だから『お客様から観る』ということが必要なんだと思うんだよね。小難しい表現をすれば「マーケット発想」をするということ。お客様と言うマーケットは何を望んでいるのか、何を期待しているのか、そこを見なけりゃならない。「見る」って言ったってそんなうつろな目つきで見たって分かりっこないと思うよ。観察するかのように「観る」ことが必要。凝視する感じ。ということは、相当の真剣さが必要だっていうことだよ。いつも言う、有意注意が必要だということです。
2005 / 12 / 22
今期のテーマ「考働する」にあたって、重要な要点として『お客様から観る』を上げた。本当にお客様の視点に立って仕事をしているのかどうか、甚だ疑問に思うことがしばしばあるから。例えば、アイドル時で空席が多いにも関わらずお客様のすぐ横に案内されたというクレームがあった。どう考えてもこちら側の都合だけで働いている。ちょっと考えればどうということもないこと。しかし、こんなのは一例であって「こちら側の都合だけ」は随所にあるのだろうと思う。普段、あなたがお客様=消費者であるときにはわがままに要求する。しかし提供者になったときにお客様感覚が消える。
計数的に見れば「売上発想」と「経費発想」のふたつがあり、「経費発想」は一般社員とパートアルバイト、「売上発想」は管理職という役割分担があるようなないような、そんなイメージがある。みんな、どうでしょう?
売上=客数×客単価。基本的には客数増が売上を上げることなのだから売上は「お客様の喜び指数」である。言葉を替えれば我々の存在価値である、売上とは。
単に売上を上げろ!と意地汚く言っているのではなくて、お客様に喜ばれる仕事がしたいということ、お客様に必要とされる仕事がしたいということ。お客様に喜ばれること=我々の存在価値であるはずだ。だって必死に働いて「存在価値がない」と言われた日にゃ最悪だよ。
だからさ、もっとお客様の視点に立って仕事をしようじゃないの。だからさ、お客様の視点に立って、どうしたらお客様が喜んでくれるのか「仮説」と「検証」をしてみましょう、創意工夫してみましょう、ということ・・・・・・なんだけど・・・・どう?
2005 / 12 / 19
利他心、つまり思いやりのある人は視野が広い、これは稲盛塾長の言ったこと。考えてみればその通り。だって利己的、つまり身勝手な人というのは一方通行で自分側しか物事を見ないということ。極端だが相手の気持ちなんか思いやらないということ。こんな楽なことはない、かもしれない。だって人が悩むのは他人の気持ちが自分の気持ちの中に入ってきて葛藤したときだから。物差しが自分ひとりの判断基準しかなければ何も悩むことは必要ない。他人の判断基準が入ってきたときにどっちが正しいんだろうって悩むわけだから。そうやって人は悩む。悩むことは確かに苦しい。しかし、自分の目線の他に他人の目線を足すということは視野が広がるということ。
視野が広がれば判断の材料が増えて悩むことではあるが、それは「考える」ことでもある。
いいことではないか。「視野が広がる」「考える」ってことはそれだけ仕事ができるようになるってことだし。
そうやって考えると・・・・・・やっぱりね、基本的には「やさしさの深い人」の方が仕事ができるって僕は思っちゃうんだよね。働く仲間と永い付き合いをしようと思えば尚更そんな人の集まりでありたい、でしょ。
目の前のミクロしか見ない仕事は作業に近い。一方、視野が広がれば当然マクロ的な仕事になり判断材料が増える。判断が高度になったときに意思が入る。「作業人」から「仕事人」になるということ。その先の経営の領域に入ったときに「商人」になる。早くここに来い!
2005 / 12 / 18
目の前のこと、今起きていることだけで判断する、それじゃ「考えて働く」ことにはならないんだ。極めて狭い視野で判断するから優先順位が分からない、仕事に脈絡がないことになる、って思うよ。目の前のことをミクロと表現すれば、もっとマクロに立った見方も合わせなければ正しい判断にはならないと思う。仕事のできる人ってミクロとマクロを行ったり来たりしている感じがするんだよね。局地で戦いながらも大局に立った戦略を練っているという感じ。
例えばね、
"最近、なんか常連さんが減ったような気がするんだよね"ってポツリと洩らしたお前、それでお前の話は終わっているだろう。そこから先を考えるんだよ。もしかしたら競合店に行っているんじゃないか?だとしたら競合店は最近行ってないけど新商品を投入したとか店長が変わったとかあるんじゃないか?近々に行って見よう。こんな風に考えなきゃならないだろ。
例えばね、昨日もあったこんなささいなこと。
仕込み表に明日の予定数が書いてある。間違えた文字をボールペンで塗りつぶし横に書き換えている。たぶんなんとも思わないのだろうと思うが、それって目の前のことだけしか思っていないから、だと思うんだよね。だってその仕込み表はお前ひとりだけが見るんじゃないんだろ。明日、パートさんがそれを見て作業に入っていくんだろ。そんなことをちょっと思ったら分かりやすくていねいにってならないか?
確かに現場は戦闘状態だから余裕がないのもよく分かる。だから尚更冷静さが必要、でしょ?
ミクロとマクロって言ったって別に特別難しいことじゃなくて、今よりはもうちょっと視野を広げてみることが必要だと思うんだよね。どんなもんでしょ?
2005 / 12 / 17
今期のテーマは「考働する」である。我々の業界はもう広がるマーケットにはないと思っている。むしろ縮小傾向にあると思う。そりゃそうだ、いつまでも成長なんてあるわけがない。グルメタイプと言われる我々の業態が生まれて15年くらいは経つだろうか。業態は必ずどこかで転換期を迎える運命にある。そんな周期なのかもしれない。気合と根性でやってきた今までだが、これからはそれだけでは済みそうにないような気がする。
従業員一人ひとりに「意思のある仕事」が求められているような気がしてならない。なかなか難しい階段ではあるが昇らなければならない。 現実を見渡せば、なんだこりゃ!ってな感じ、松田優作でもあるまいに。
「仮説」と「検証」とは言ったものの、うたい文句が額に飾ってあるなんてシャレにもならない。
PDCサイクルを回す仕組みがなければどうにもこうにも、前に進まない。
そう思う!
2005 / 12 / 16
今期のテーマは「考働する」である。決して自慢できるようなテーマではない。我々はあまりにも場当たり的に仕事に向かっているように思う。つまり、その場その場で判断し行動している、本当にそう思う。今決断したこと、それはどうなったの?と聞いても結果確認ができていない。それは、極めて視野の狭い状況から思いつきのように判断しているからだろうと思う。事の前後と脈絡、優先順位を踏まえないままの行動があまりにも多い。言葉を替えれば、言いっぱなし、やりっぱなし、丸投げということ。
イトーヨーカドーの鈴木社長は「仮説」「検証」をしきりに説く。我々のレベルは仮説もなにも、思いつきで判断し後は記憶から消えていくというレベル。「検証」がないってどういうことだ???ほら、場当たり的になっているだろう。
お前の人生には「反省」という2文字はないのか?昨日はここがダメだったから明日はこうしよう、って思うだろう。だから人間は成長するんじゃないか。だったら仕事だって同じじゃないか。反省とは、仕事の中での検証と同じだ。"仕事のときは余裕がないから"ってバカのひとつ覚えのように同じことばっかり言ってないで、そんな中でもどうしたらいいのか考えるの。第一、できる奴ほど考えているじゃないか。
意識してやろう!意図してやろう!そして「考えて働く」ことを習慣にしよう!
2005 / 12 / 12
これから一人ひとりの社員に求めることは、「考えて働く」ことである。今期のテーマである。エっ?なに言ってんの?考えなきゃ働けないじゃない・・・・・・・と、思ってんだろ。 だけどな、考えてないの本当は。その証拠に指示待ちになっているじゃないか。"まぐろが残り○○バットしかありませんけどどうしますか?"ってその聞き方、それが指示待ちだっちゅうの。 "まぐろが残り○○バットしかありません。ピークは終わってますが給料日後なので、後△△回転はすると思うので●●名様くらいは見えると思います。だから▲▲バットは仕込んだ方がいいと思います。どうでしょうか?"くらいのことを言ってから「考えて働いています」と言え。自分の意思も持たずにハイハイなんて言うのは仕事のできないイエスマンだ。
単なるワーカーでは困るんだ、本当に困るんだ。頼むから逆らってくれ!意思のない仕事をされるよりよっぽど楽しい。 お客様は益々熟練し求めることも高度化している、とつくづく思う。マニュアル対応のようなおもてなし、言われただけの作業、こんな意思の持たない仕事で何度お客様から怒られた。
「考えて働く!」
そうしないと仕事ができる人間にはならないんだ!
2005 / 11 / 28
「売上は最大限に、経費は最小限に」、これ稲盛塾長から教わった経営の要諦。どうやって経費を最小にするか、どこの会社でも日々考え悩んでいること。我々の慰安旅行の参加義務は、社員の必須は当然だがパートさんも必死に誘う。パートさんにはいろんな事情があるだろうからなかなか家を空けづらいこともあるだろうが、それでも必死に誘う。今回も"子供を家で預かるから行こう"、とまで誘う奴もいた。 なんとか経費を減らしたいのが本音なのにどうしてここまでして誘うのか?
仕事ってドライに割り切れないところって結構あるじゃないか。「働いているこの時間はちゃんと給料分はやります。個人には触れないでください」なんて考え方でうまくいきっこないと思う。我々の飲食なんてホント、チームワークという横の連携がなければできっこない仕事じゃないか。ひとりでできる部分なんてたかだか知れたもん。パートアルバイトの果てまで一人ひとりの人が、今よりほんの少しでも花まるが「我が事」に近づけたらどんなに素晴らしい店になるだろうって思っちゃう。それは、「売上は最大限に、経費は最小限に」とイコールになるはずだ。
だいたいが、折角働いている時間、それはあなた自身の人生を費やしていること、そうじゃないですか?だったら、働くことをもっと意義のあることにしたいじゃないですか。 オレだってそんな乾いた関係で仕事したってなんにも楽しくない。 だから慰安旅行とはただのお遊びではないし、ただの慰安でもないんだ。みんな一人ひとりが力強い戦力であって欲しいと思うからみんなで、と思う。
それにしても、会社のゴールドカードとは言え、こんな金額切ったことないぞ!あぁぁ・・・・・・・・
2005 / 11 / 26
我々はよくコンパと称してよく酒を飲む。それが大事だと思っているから。コンパを始める前の口癖は、"傍観者になるなよ!"コレ。楽しい時間、意義のある時間にしようと思ったら、パートアルバイトの人を盛り上げてあげようとする意識が大事だ。仕事が終わって疲れたときの社員間のコンパでも "たとえ酒の席でもエネルギーを使え"と言う。
ただの酒飲みの会ではないんだ、我々のコンパは。お互いが分かり合う、本音を分かり合う最も大事な機会なんだ。
慰安旅行のときでも思う。楽しませてもらおうとする人。楽しませようとする人。
慰安旅行くらいゆったりくつろいで、と思うかもしれない。しかし、我々は違うべきだ。どんなときでも盛り上げようとすることだ、一人ひとりが。そんなことしてたら楽しめないじゃない、と思うのは全然間違いだ。実は周りを楽しませようと、盛り上げようとすることで自分が盛り上がり楽しくなる、これ、絶対!ひとりずつ、全員がほんの少しエネルギーを足すことで場の空気はまったく盛り上がる。 どんなときでも傍観者になるな!
今年の慰安旅行は100人になっても宴会の雰囲気は昔と変わらないことはうれしいことだった。2次会のカラオケまでいったらもう絶好調!
歌い狂う、踊り狂う。
誰だ、調子乗ってオレのパンツを脱がそうとする奴は。
2005 / 11 / 23
お客様には大変ご迷惑をおかけしたが、2日間お休みをさせていただいた。ステラプレイス店の厨房工事もあって今年は全店で一緒に慰安旅行に行くことができた。たった1泊ではあったが楽しい一日であった。5年前、札幌に出店するまでの慰安旅行はパートさんも含めて20名くらいだったのが5倍の人数になっていた。「か細い自分がどうしてこんなことを」、という思いと「まだまだこの程度」という思いが交錯していた。一堂に会したとき、一人ひとりの人生に関わることの重さを痛切に感じる。トップの言動はたとえパートアルバイトでも個人の人生観に及ぼす影響は確かに大きい、と思っている。社員ともなれば家族も含めて、この先ず〜っと飯を食わなければならない・・・・・この重さ・・・・・・一方で、色々な個性とでこぼこの仕事能力がありながら一人ひとり従業員の力で店が作られ、会社が作られている。小さな力と大きな力が入り混じって、みんなに助けられながら、と実感する!普段怒りっぱなしの輩にも仲間を感じるだけで他に何もない・・・・・・そう、感謝しなければ。
2005 / 11 / 18
お客様への小さなミスに対して、どうも捉え方に誤差がある。"うちはどこよりもおいしんだから"、そんな思い上がりが気の緩みにつながっていることがあるのではないだろうか? お客様が言う、『おいしい』とはいったいどんなことを指して言うのだろう? お客様は目をつぶって食べているわけではない。周辺の空気を無意識に感じながら食事をしている。 寿司そのものと、周辺の空気とが掛け合わさって『おいしさ』を感じるものだ。 周辺の空気って分かるか?お前だよ、お前!お前のお客様への接し方、それそのものが空気だって言っているんだよ。接客業のようなフリしてやっていることは寿司製造業だ。 違う!たまたま寿司を扱っているだけ、そう思え!お客様に寿司を通して自分の人柄を買ってもらう、そのくらいのつもりでいて丁度いい。
我々は、商品に頼りすぎかもしれない。
2005 / 11 / 17
求人誌を見て入社してきたパートさんがいる。"どうしてうちに来たんですか?"という問いに、"求人誌に書いてあった、「厨房でもお客様を感じる仕事がしたい」というコメントに惹かれました"ということだった。この意味が分かる人が実はほとんどいない。キッチン業務は作業になる。従ってやっていることは製造業である。そこにお客様はいない。しかし、ネギ1本切ること、汁物を盛り付けること、納豆巻き1本巻くこと、ネタを1貫切ること、そこにお客様を感じることがあれば、ネギに、汁物に、納豆巻きに、ネタに「思い」が乗る。
実は、それがおいしくなる瞬間だと思っている。
何を馬鹿げた、と思うかもしれないが、しかし、"おいしいコーヒーですよ"と思って出したコーヒーは確かにおいしくなるという。冷凍のつくねも、一度手で握ればおいしくなるという。 花に、"おはよう、きれいだね"と毎日繰り返せば満開に花が咲く、枝葉をよく切る人が側に行くと葉が揺れる、これと似ている。
ひとりひとり、みんなの思いをたった一貫の寿司に乗せて・・・・・・・・・そんな仕事ができればいいなあ〜と・・・・・・・
2005 / 11 / 16
行動する前から「そんなことできない」と決め付けてしまう、そんな奴がいる。やってもいないのに「そんなことできない」はないだろう、とは思うが存外こんなことは結構ある。今、自分がやっていることが精一杯、だと思っているに違いない。傍から見ていて「もう少しなんとかならないの?」と思う人さえ言うからたちが悪い。 聞いてみたい。"貴方は自分の可能性はここまでって分かるの?"んなことはないでしょ。アインシュタインでさえ10%しか潜在能力を使っていなかったって知ってる?
世の成功者が言う、「思いは実現する」「思うことから始まる」は確かに真実だろう。 どんなに遠い道程も、まず思うことから始まるはずだ。 「思うこと」がなければ成就することはない。だって思っていないのだから。 「思ったら何でもできる」なんて境地にはなりっこないが、だけど「できないと思ったことはできない」、これはよく分かる。
2005 / 11 / 14
"お前な、寿司を握れる、仕込みが早いということがなんぼのもんなんだ" 最近こんなことを言う。寿司を握れることが社員としての資格?それが店長になる資格?んなことはないんだよ。立派な有名店で修行してきた職人が独立をして、うまくやっているか?どうだ? 世の中に調理技術が優れて独立して失敗した人は山ほどいる。そっちの方が多いくらいだ。要は、お客様の心理をどれだけ理解できるか、つまりマーケット発想がなければ経営になんてなりっこないはずだ。そして、ひとり仕事でもないかぎり一緒に働くスタッフのモチベーション管理ができなきゃならない。その結果が経営数値となって現れる。何をどれだけ投資して、いつまでにどうやって回収するかも合わせて数値管理もできないで経営なんてできるわけがない。早く昇ってこい!仕事はもっともっと奥が深い。もっともっと難しくなる。早く昇ってこい!現状のちょっとしたことで"俺は仕事ができる"なんてしみったれたことを思っている暇はない。もっともっとやりがいのあるステージが先にある!
2005 / 11 / 13
我が社には特殊な才能を持った人間がひとりいる。彼は夜空を見上げて明日の天気予報を当てることもあれば、雲の流れ方で時化を予想することもある。他にもなにやら理由の分からない、常人には理解のできない予想方法があるらしいが、もったいつけてオレにも教えない。彼は根っからの漁師である。子供の頃から爺ちゃんに連れられて前浜に漁に出たらしい。昔から浜の出身者はよく働く。昆布漁が忙しいといって、親は学校を休ませるくらいだ。 社会人になってからの職業は当然、漁師。サケマスからサンマまで、随分いろんな舟に乗ったようだ。厳寒の羅臼のスケソウ鱈漁なんて想像を絶する仕事のようだ。何重にも着込んだ装備、三重にはいたゴム手袋で魚をはずす。ちょっと油断をすると波しぶきが氷となって船上を覆いつくす。そのままにしているとひっくり返るという。一巻の終わりだ。生きた心地がしないのも十分わかるが若造は一冬で、ん百万の魅力に負けて命を賭ける。 そんな男が陸に上がって花まる全店の仕入れを担当している。"花まるって鮮度が違うよね"とお褒めをいただくのも、子供の頃から染み付いた彼の臭覚が成せる技なのだろう。 「一芸に秀でる」とはよく言ったもので、特殊技術を持っているということはホント、得。
だけど、だけどな、その特殊な性格はなんとかしろ!このキクチ!
2005 / 11 / 12
たった2、3人のパートアルバイトをまとめることができないで、どうして30人も40人もの組織をまとめることができる!こんなことを言うことが最近多い。会社の先、社員の先、勿論自分の先も含めて人が育つことを何より一番望んでいる自分がいる。仕事のスタンスが変わってきている。社員を引き上げよう、引き上げようとする意識が強くなっている自分が分かる。上から押さえて無理矢理ねじ込んでいた頃とは随分違う。"なんでこんなことまで教えなきゃ"と思うようなこともジッと我慢の子。今までと違うステージに行かなければ先はない、そんな気がする。2005 / 11 / 11
まだ若い女性社員がこんなこと言う。"最近は特別に時間がないわけでもないのに、友達から誘いが来てもあまり一緒に遊びたくない。面倒くさいとかそういうことではなくて、今の私を邪魔しないで欲しいって思っちゃうんです" 自分が人間として成長したいという目覚めが少し出てきたとき、文字通り進歩する。何回も、彼女の人間として、仕事人としての成長を思って迂遠ともいえる小難しい話しを繰り返す、怒りながら。
今時の若者だって特別のものではない、と実感したときでした。
誰にでも通じる、どこでも通じる稲盛フィロソフィー!あなたも最高の特効薬、服用しませんか?
2005 / 11 / 10
子供の基本はわがままだ。親から守られっぱなしで生き、あぶないと思うときにはサッと抱きかかえる。その連続は、例えば食べ物の好き嫌いが激しいようにわがままになる。つまり利己的だ。大人になって今度は独りで生きていく。思い通りにならないことを繰り返し、わがままが少しずつ減っていく。好き嫌いが減って行く。やがて組織のリーダーや親となって今度は守る側に回る。少しずつ利他的な心が育まれていく。そうでなければならないとも思う。 ところが、社会の中にも子供がいる。大人のズウタイをした子供がいる。自分のことばっかり、他人に失礼なことしていることを気付かない。ときには迷惑をかけているにもかかわらず、"あの人悪いから"と責任転嫁する。ある人がこれを「子供大人」と言った。「大人のズウタイをした子供」と言う意味だ。人は大人にならなければならない、本当の意味で。年を重ねるとはこのこと。それは、「利己心」ばかりで生きてきた人生から「利他心」に比重がかかる生き方だ。勿論、オレにも言えることだ。
2005 / 11 / 9
稲盛塾長から教わった「心の多重構造」。人間の本質は利己心と利他心であることを年々痛切に感じる。どちらも本質であるとはいえ、利己心が強すぎればどうしてもうまくいかないことが多い。身近には、ちょっとした頼まれ事も面倒くさがれば連携がとれなくなり孤立してしまうようなこと。大きくは、年月を経て大きなしっぺ返しを喰う因果応報のようなこと。逆に、利己心を抑えることで引き出される利他心は、一見損をしたように見えても実は自分の心が穏やかであることに気付く。身近には、ちょっとした頼まれ事も面倒くささを我慢してお手伝いすることで、自分に対する周囲のアタリが柔らかくなり、心はふんわり朗らかだ。大きくは、年月を経てラッキーとなって現れる因果応報のようなこと。
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人は生を受けた瞬間から死に向かって生きている。 まだ青臭い頃に思った「人は何のためにこの世に生を受けたのだろう」ということ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして「利己と利他」、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしてこんな両極端な心が人には存在するのだろう?
たとえ答えのない禅問答であっても、考え続けるべきではないのか?
いい年こいてからでも・・・・・・・・・・尚更・・・・・
2005 / 11 / 8
自分のことを「利他的人間」などと思っていることがそもそも「利己的人間」なんだ。お前のその程度でどうして「利他的」なんだ?自分に余裕のあるときには優しくできる・・・・・当たり前だ、そんなこと。余裕のあるときにも自分勝手だとしたら相当な性悪だ。問題は、自分も大変なときにどれだけ優しくできるかだ。100万円も財布に入っていて1万円くらい貸すのはたいていの人ができる。しかし、1万円しかないときに1万円貸せるかどうかで人は悩む。なだらかな坂道を登るときに手を貸すのは誰でもする。急な上り坂で自分も辛いときにそれができるかどうか、それで人は悩む。 ぬるま湯で生きてきて、ちょっと優しげな人間ほど自分を思いやりのある人間だと言う。それがいざ窮地に追い込まれたときには本性が丸出しになる。実際はこのときが自分自身だ。
だからオレは思う。今の自分の程度は本当に大したことがない。自分の利己心に勝つのは容易なことではない。
2005 / 11 / 7
"僕は今まで自分のことを思いやりのある利他的な人間だと思いこんでいました。しかし余裕のないときに利己的な仕事をしていることに気付きました。"という社員がいる。気付いたところまではエライ。だけどな、仕事ができないということは利己的だからなんだよ。そりゃ、よっぽど賢けりゃ別だけど、我々なんて凡人程度の能力しかないわけだし。賢さで仕事ができる、というふうにはならないじゃないか。利己的とはわがままということ、身勝手ということ。つまり例えば間違いやうまくいかないことは他人のせいにすることじゃないか。他人のせいにしてしまえばもう、うまくいかないことの原因は他人のせいなんだから何も考えなくてすむじゃないか。考えないということは仕事ができるようにならないということじゃないか。だけど、間違いやうまくいかないことを、たとえ相手が悪くても自分にも何か問題があるんじゃないか?と思ったときに初めて原因を考え始めることになるじゃないか。だから進歩する、仕事ができるようになるじゃないの?だいたいがその程度で、自分を「利他的人間」なんて思うことが大間違いなんだよ。いつでもまだまだ、いつでも利己的じゃないかな、と思っている人間がほんの少し「利他的」なんだ!・・・・・と思う。
言っとくけど、オレが「利他的人間」とは言っていないからな、突っ込むなよ。
2005 / 11 / 6
言っていることとやっていることが違うのが一番悪い。自分の調子のいいときは乗って仕事をする、そうじゃないときは淡々とハキのない、流すような仕事をする。そんな奴に限って調子のいいときは周辺のパートアルバイトの仕事ぶりが気になる。そしてイライラする。時には怒ったりする。こんなのって最低だろ!誰が聞いたって最低だろ!だけど問題なのは、そのことに気付いていないということ。自分側からしか見ることなく、相手側から自分を見る、つまり相手の立場に立ってみることをしない、こんなのが一番利己的だと思うね。人はこれを「ムラ」と言う。しかしね、この「ムラ」というやつ、仕事のできる奴になればなるほど周辺の人間には迷惑限りない話だ。だって、仕事ができるということは存在感があるということだから、例えばそれが上司だったら最悪!そのうち上司の顔色見ながら仕事をするようになったりする。こんな仕事、ろくなもんじゃない。もしこんな人間が幅を利かしているような店になったらオレは怒り狂っちゃうね。
2005 / 11 / 5
現場でお客様に接しているときに、未熟なパートアルバイトが非常に目につくだろう。そもそも社員とパートアルバイトでは意識レベルが違うと分かっていても、そこにお客様がいる最前線では「真剣勝負の世界」なので意識レベルの差を汲み取る余裕などないと思う。だから注意を超えて怒ることもあるだろうし、イライラ感がつのることもあるだろうと思う。実は僕なんかそのまんま。だけど年の功も手伝って若干抑えることもできる。冷静さを装うことも若干できる。しかし、若い社員にそれを要求しても難しいだろうと思う。仕事に入れ込めば入れ込むほどテンションの誤差に腹立たしさを感じるだろう。 だから、怒ることを否定したりはしない。
しかし、それが「個人の感情」として受け止められるような怒り方はよくない。 正義がないからだ。店やお客様や仲間のためという大義名分、つまり自分をはずした誰かのために怒っていると相手が感じたときに受け止め方が違ってくると思う。怒っている方は、"店、お客様、仲間のために怒っている"と思っているだろうが実はそれは違っていることが多いんだな、これが。正義ぶっている利己だったりして。
どんなもんでしょ?
2005 / 11 / 4
人間は自分にとって大事!と思うことは進んでやる。それが人間の本質のひとつだろう。パートアルバイトの人にとって仕事は第2位、3位に大事なことだから社員とはテンションが違うのは当然のことだ。その当たり前のことを改めて認識することが大事だ。無意識にいると、ついつい自分との比較、優秀な人との比較という相対比較で相手に求めることになる。それが積み重なると、大事なことの4位、5位に落ちていく。やがて辞める。
2005 / 11 / 3
パートアルバイトの仕事ぶりがよくないのを見てイライラしている社員がいる。「小遣い稼ぎでその日の仕事が終わればいいというような仕事に見える、そういうところから毎日のクレームにつながっていると思う」と言う。そりゃまぁその通り。だけど、そういうお前はこの間までアルバイトだったんじゃないの?自分の立場が変わっただけで他人の仕事ぶりが気になる。成長と言ってしまえば確かに成長だけど、だけどこの前までアルバイトだった自分だから相手の立場が、心模様が見えるんじゃないの?よく、上司に文句ばっかり言っていた人間が、やがて自分がその役割になったときに、嫌な上司とまったく同じことをする奴がいる。アホじゃないかと思う、ホント。
言っとくけど、パートアルバイトの人には学業や家事という、彼らにとってもっと重要なことがあるんだ。お前は社員で仕事オンリーでいいが、興味がもっと他にある、それがパートアルバイト。それをどうやってこちらに興味を持たせるかが勝負だろう。どんなもんでしょ?
2005 / 10 / 13
社員研修での質問の中には非常に難解な質問がある。適当に答えるわけにもいかず、真剣に考える。いや〜、本当に真剣に考える。おかげで不明瞭だった部分が少し明確になる感じがする。これは、結構いいかもしれない。
2005 / 10 / 11
質疑応答形式の社員研修にしてから1ヶ月が過ぎた。中に分かっていても答えたくない質問がある。つまり、今までできるだけ触れないようにしてきた部分。「絶対答える!」と言って始めただけに逃げるわけにはいかない。そのとき心がけていることは「ウソをつかない」こと。
そうすると、「ウソをついていました」と答えることになった。
2005 / 10 / 9
一昨日の突然のメールで、妙なところで妙な人が見ているというネットのおもしろさと怖さを実感した。以前にもHPの掲示板で中傷された大変な経験がある。書きたいことは山ほどあれど、どうしても言葉を選んでしまう。 今、この瞬間もである。本来、我々のような商売にはブログ的コミュニケーションは不向きなのかもしれない。とはいえ、発信することがなければ分かっていただくこともできない。
だから、ときどき一昨日のような知り合いからメッセージをもらうと、また続けようかな、と思う、ホント、亀井君。
2005 / 10 / 7
この「店主のたわごと」を、しばらくサボっていたら、昔懐かしい10年以上も前のスナック時代の学生従業員からメールが入った。『更新がないな〜と思いつつメールを出させていただきました。お忙しいのでしょうね!!いつも店主たわごとを楽しみにしています。清水さんに昔いろいろ教えていただいたのに感じ取れなかった。非常に残念に思います。今、勤められている人たちが羨ましく思います。』と、嫌味とオベンチャラの両方を交えて。
今思えば、10年前はもっと未熟だった。そう思えば確かに進化しているかもしれない。あ〜、確かに人間は進歩するもんだ。それもこれも、うまくいかないことのおかげ、だった!と心底思う。
だからといって、うまくいかないことを歓迎しているわけじゃないぞ、亀井!・・・・・・・・・・ガンバレ!
