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■「店主たわごと」過去ログ > 2006年8〜12月 > 2006年7月 > 2006年6月 > 2006年4〜5月 > 2006年1〜3月 > 2005年10〜12月 > 2005年9月 > 2005年8月 > 2005年7月 > 2005年6月 > 2005年5月 > 2005年4月 |
2006 / 3 / 20
「感情にまかせて怒る」上司は、実はその上の上司に対しては感情的に具申することはまずない。なぜ、部下に対してだけ感情的になる?つまり、お前の感情的な怒りは相手に対する愛や、人としての正義感が発する怒りではない。だからお前の怒りは部下に信頼を失くさせる。
よく親が出来の悪い我が子を叱るとき、自分の出来を棚に上げて叱るという。その一方的な光景を見るにつけ、親の愛というより、我が子の私物化のように感じるのは僕だけだろうか?
例えはあまりよくないかもしれないが、しかし僕にはその延長線上のように思える。つまり、部下という「下」だから、弱者という「下」だから感情にまかせて怒る、ことになるのではないか?
「感情にまかせて怒る」という行為は、「上司の私物化」のように思えてならない。
仕事ができようができまいが、強かろうが弱かろうが、どんな人にも「人格」がある。 私物化は人格を犯すことではないか?
2006 / 3 / 19
信頼度の低い上司のひとつに、「感情にまかせて怒る」という姿勢がある。その感情むき出しの怒り方に「思いつき」「気まぐれ」ではないかというくらい憤りを感じることさえある。それは「自分の思い通りにならない」ことに対しての怒り、ではないか・・・・・本当は。相手のため、お客様のためみたいに自分を思い込ませておいて、実際のところはお前の一人よがりの感情論、ではないか。よくよく自分の胸に手を当てて考えてみろ。現に、怒る人がみんな部下から信頼の無い人か?どうだ?
お前より厳しく怒る人、なのにお前より遥かに遥かに信頼されている。これをどう説明する。
こんなのがどこの企業にもいるようだ。しかし思い通りになるわけがない。自分の思い通りになんかいくわけがない。お前よりどんなにか仕事のできる人の方が、思い通りにいかないことをイヤというほど知っている。
忍耐が必要であること、我慢が必要であること、自分の利己を抑えることが必要であることを知らないのか、それとも意識が薄いのか。
怒るな、と言っているのではない。見たとおりオレだって十分に怒っている。感情にまかせた怒り方をするな、と言っている。
感情にまかせた怒り方、それは基本的に人に対して愛が無い、とさえ思う。
これを続けていると、相手は敵対心さえ持つようになる。
2006 / 3 / 18
新卒採用の選考会で、"今、不安なことはなに?"と学生に聞いてみた。いくつかの話の中に、『自分がどうしてもこれをやりたいということが見えない、それが不安です』という意見があった。多くの学生の共通不安かもしれない。しかし、それはそんなに大きな心配事ではないと思う。だって多くの人が同じで、確固たる目指すべき道のある人の方が圧倒的に少ないはずだ。そして現実を言えば、中途半端な憧れ気分で職に就いたところで、理想と現実のギャップにでくわし、憧れ気分との誤差分だけ衝撃が大きく、ときには逃げ出してしまうことだって珍しくないはずだ。それよりはるかに大事なことは『覚悟』だと思う。要は自分のなかで『この仕事しかない!』と腹をくくることができれば、目の前に立ちふさがる壁に向かっていくことができる・・・・と、思うんだがみなさんはどうでしょう?
現実の社会は、自分の思い通りになる事の方が当然少なく、ちょっとうまくいったからといってその気になって掘り続ければまもなく硬い岩盤にぶつかる。ここで『覚悟』ができていれば、プラスチックのスコップから金物のスコップに変えてまた挑戦できる。そうやってひとつのことを掘り下げることを続けることができれば力がつく。それを繰り返しもっともっと深く掘り下げたとき、その分だけ人間に深さができる。それを魅力っていうんじゃないか
2006 / 3 / 17
もう3年も経つだろうか。我々は衝撃的な事件に遭遇している。根室店に年明け早々に警察の方が1枚のレシートを持って調べに来た。一組の家族がこの世を去り、それは心中だという。最後に立ち寄ったのが花まるらしい。レシートの日付は年末だった。それはこの世の最後の家族のだんらんだった。
たぶん何度も家族で花まるをご利用いただいていたのであろうと思う。だから最後のひとときをここにしていただいたんだと思う。しかし、我々はそのお客様の顔を思い浮かべることができなかった。
いったいお客様はどんな思いでお食事をされに来ているのだろう? どんなにたくさんのお客様が見えようとも、そのお客様にとってどれほどかかけがえのないひとときかもしれない。
いろんな思いでお客様が見える。
もっともっと必死に、生真面目に生きる・・・・そうでありたい。人様になにかを感じていただけるようなそんな仕事がしたい。もっといい仕事をしような!
2006 / 3 / 16
"よく花まるに行くんですが、始めて行ったときはなんかうるさい店だなあと思いました。だけど何回か行くうちにここに来ると元気になるんです。今では元気をもらいに花まるに行くのが頻繁になっています、本当に。"これ、先日の新卒採用で選考会に来たひとりの学生の言葉。おべんちゃらでもなさそう。
そんな言葉を聞いてうれしくもあり、一方で見の引き締まる思いがした。
"いつ来ても元気だね" "ここに来ると元気になるんだよね" 確かに何度も直接お客様からそんな声をいただくこともあったし、アンケートなんかに書かれたこともあった。
しかし彼女は、『元気をもらいに花まるに行く』という。
我々は決して上手な仕事ぶりではないし、そんなレベルではない。それでもそれを補う真剣な生き方はできるじゃないか。不器用でもいい、必死に生きる姿勢は人様を元気にできる。みんながそうでありたい。いつでもそうでありたい。
2006 / 3 / 14
『本音でぶつかれ!』、これ最近多いセリフ。なかなかこの領域に行けないのが今の我々の自力だと思う。最近の中途採用で面接に来る人に、ある種花まるに憧れるような感覚で来る人がでるようになった。なんで?と聞くと、"いつもみなさん元気に働いていて自分もそんな環境で働いてみたい"、そんな感じだ。一見簡単そうに見えるそれがなかなかできないのを過去の職場で知っているからだろう。
今まで何度も考え方を共有することに力を注いできたことがベースになって、少し一体感があるように見えるのかもしれない。
ここまではいい。しかし、これからもっと前進し会社を大きくしていこうと思ったら、今までよりもっともっと何倍も従業員間に信頼関係ができなければ難しいと思う。
人間はそんなに強くない。いかに頑張っていても、ときには怠け心がでることもあるだろう。気乗りのしないこともあるだろう。だからそんなときに、『本音でぶつかる』というフィロソフィーが作用すれば、自浄作用が働くのではないだろうか。つまり、「社長が言っているからやらなければならない」という感覚ではなくて、店や従業員同士のなかで、"お前のそれは絶対よくない"という戒めがあればオレが言うより反省するだろうし、言った方も、自分もちゃんとしなければと思うのが人間だろう。お互いが自分個人のためではなく、お客様や店や仲間のためという大義名分がもっともっと本物であれば『本音でぶつかる』ということができるのではないか。
2006 / 3 / 13
南郷店で回転レーンが故障で止まった。土曜のピークタイムに・・・・・なんということだ!こんな経験は今まで本当に数えるくらいしかないが、寿司がまったく流れない回転寿司、最悪の場面になる。
勿論、何から何までフルオーダー。レーンの中はどれがどの席のオーダーなのか、口頭のオーダーも含めてめちゃくちゃ。そしてバックキッチンはいつもと比較にならないほどのオーダー量になるから一大戦争状態になる。
こんなことがあるとイヤと言うほど思い知らされる。
回転寿司は回転寿司の役割に徹さなければ自分たちで自分たちの首を絞めることになる。
最近は確かにオーダーをされるお客様が多いのは事実だが、しかし回転寿司は「寿司が回ることで経営が成り立つ」ということをつくづく実感する。
だってこの価格で提供できるのは「寿司が回転する仕組み」の上で成立しているのだから。
2006 / 3 / 12
100年も続く永続企業の共通項は『臆病である』という話しを伺った。その通り!と思った。お客様の言葉に臆病であり、従業員の言葉に臆病である企業が永続企業たり得る可能性を持つという見解に、僅かばかりの経験の私が共鳴したところで確かに薄っぺらいが・・・・・・・・・しかし私はこんな感覚が強いと自分で思う。
"お客様に失礼のないように" "従業員に失礼のないように" "お客様に迷惑をかけたくない" "たとえ子供でも人間としての尊厳は犯さないように"
消極的とも思えるこの感覚が基本的ベースにあることが人間にとって大事なことではないだろうか?
勿論、客商売をしていて『お客様に喜んでいただくこと』は前向きな考え方で、同時にこのうえない喜びであることも事実だ。
それでも私は、積極果敢な上昇志向を持ちながらも、一見その対極にあるような一個の人格を犯さない、尊重するという生き方が不可欠であると思っている。
お客様だから大事にするとか、子供だから適当にあしらうとかという感覚が消えれば・・・・・・・どんなにか
お客様に喜んでいただくことができるだろうに。
2006 / 3 / 11
"同志と仲間とではどう違うのでしょうか?" 過日の会社説明会での質問。だった、『仲間』って言えばなんか助け合いのイメージがあるじゃないですか。勿論、職場なんだから助け合うことは必要なんだけど、だけどなんか力強くないでしょ。それぞれが自分の意思でひとつの方向に向いたとき、それって『仲間』というより『同志』という感じがするじゃないですか。そうでありたいんですよ、僕は。
組織の中で回されている歯車のような人間なんて別に欲しいわけじゃないんですよ。生き方に賛同して、"よし、オレも同じ夢をみたい"って感じになったとき、なんか一緒に生きてる、って感じになると思うんだよね。
2006 / 3 / 10
『やがては・・・・・・一緒に闘う同士が欲しい』これ、新卒採用のコンセプト。
職を共にするのはかけがえのない仲間である。本音で語り合える仲間であればもっともっとかけがえのない仲間である。そう思えば我々なんてまだまだである。しかし、オレはこの先、前進したいと思っている。だとすれば、仲間同士は本音をぶつかり合わなければならない。でなければ『真の仲間』にはなりえない。つまり『同士』にはなりえない。
そのためにオレがしなければならないこと。尽くすこと。
ちょっとくらいの自己犠牲なら仲間のためにはらえる。しかし、そんな並程度じゃ話しにならない。己が保身本能が発する自分を愛する心・・・・・・それが邪魔をする。日々葛藤!
2006 / 3 / 9
来年度卒の新卒採用が盛んに行われている。我が社も先日、第一回目の単独会社説明会を行った。根っから気が小さく、ビビリの僕の話を聞いて『強烈!』という感想が多かった。
"社長さんはやさしそうに見えるんですが怒ることあるんですか?"という質問。
そうです。私は普段、ほんとうに優しそうに見える!・・・・らしい。しかし、事、仕事になると人格が豹変する。
従って、怒ることは珍しくないのです。 私が不出来なのは重々承知しているが、世の中に怒らない社長などいないと思う・・・・のですが・・・・・ちょっと自己弁護。
繰り返すが、私は小心者だ。"せんせい、おしっこ" も言えない小学生だった。
その男が怒るとき、それは・・・・・・・・・・本気だ!
2006 / 3 / 7
お客様からこっぴどくお叱りを受けた。忙しさを理由にして失礼な言葉遣い、配慮の無さ、雑な仕事、指摘を受けてからのふてくされた態度・・・・・なんの言い訳もきかない。
しかも随分贔屓にしていただいているお客様。どうやったってお詫びするしかない。
恥ずかしいかぎりだ。
今週1週間、お客様の指摘について本当に真摯にみんなで話し合おうと思います。
2006 / 3 / 5
我々の店には大学生のアルバイトがかなりいる。彼らは今、就職活動の真っ只中にいる。"どうしよう・・・・・" いかにも不安そうだ。"内定のもらえる人はいっぱいもらえて、もらえない人は全然もらえないみたいです"
そりゃそうだ、だから言っただろ。アルバイトだからって遊び半分でやるなって。
ただの小遣い稼ぎのアルバイト。そこにいればたとえ怒られたって一応給料はもらえるし・・・・・なんて程度の考え方で働いているからいざとなったら焦っちゃう。
本当なんだ。たかがアルバイト、しかし一生懸命お客様の身になって働くこと、これの蓄積が知らず知らずの内に人を成長させるんだ。それを小遣い稼ぎの意識のままでいるからガキのまま社会人を迎えなくちゃならなくなる。そんな意識レベルの人間を企業が採用すると思うか?どうだ?
今更どうなるもんでもない、開き直るしかないだろ。履歴書の書き方や面接のシュミレーションをしたところでそんなもの見破られるに決まっている。もう、ありのままでいけ!今頃になって反省しています・・・っていうしかないだろ!
2006 / 2 / 18
ひとりの幹部社員が入院した。危うく一命を取り留めた。よかった、本当に。こんなときにいつも思う。
儲けることができなければなんにもしてあげることができない。
10年前はたった1店舗で貧乏な会社だった。資金繰りに焦ることも幾度かあった。そんな頃がなかなか記憶から消え去らない。もしあの頃に、たったひとりの社員が長期入院でもしたもんだったらどう対処していただろう?そんなことをついつい考えてしまう。
余裕のある経営をしていなければ・・・・・ちゃんと、儲けることができる会社でなければ・・・・・・・
2006 / 2 / 17
これから2007年卒の新卒採用と同時に中途採用も連続する。最近、何人かの方と面談していてうれしいことは、「花まるに憧れて」という動機が見受けられることだ。"あんなふうに元気に一生懸命に仕事ができたら"という意見を聞く。一人ひとりが一生懸命という光景が奇異に映るらしい。特に同じ飲食業界の人にそう言われる。もっと言われるのは同じ回転寿司業界の人からだ。内から見るとそうでもなくてかなり問題を抱えているのに。現に初歩的なミスで大目玉を喰らうことだってある。いかにベクトルを揃えることが至難の業かということだろう。
つくづく思う。
決して疎かにしてはいけないもの、それはフィロソフィー。もっともっと深化させなければならないもの、それはフィロソフィー。
2006 / 2 / 13
我々の仕事の醍醐味は、お客様のダイレクトな表現にある。製造業であればエンドユーザーがダイレクトに見えない。小売業であれば仕入商品を売り、お客様の評価は我々の見えないところでされる。一方我々は、素材という仕入商品を加工し、売場づくりとおもてなしも合わせた付加価値を加え商品にする。なによりも評価はその場でされる。
恐ろしいことである・・・・・・・が、醍醐味でもある。
しかも調理、おもてなし、メニュー提案、これを同時に行う飲食業態は回転寿司の他には殆どないはずだ。
その高度な仕事の中に我々の醍醐味がある。
商品を乗せた皿に我々の人柄も乗せて、"いかがですか?"
ときには満面の笑みで評価を返される・・・・・・・たのしい!うれしい!!!ときもあれば無言でムッとした顔で評価を返される・・・・・・・つらい、悲しい・・・・・・しょぼくれる。
合わせて、やりがい。
2006 / 2 / 12
みんな!自信を持とうではないか!飲食業の中でも回転寿司という業態は少し難しいように思う。通常のテーブルサービスの業態であればオーダーはホール担当がとる。キッチンはお客様と直接接しないところで調理に専念する。商品提供はホールが担当する。これが一般的なレストラン業務だとすると回転寿司は少し違う。
我々はお客様からのオーダーを握り手が受けることが殆ど。握るという調理作業も勿論握り手が行う、お客様のまん前で。当然商品提供も握り手が行う。そんな接客業務と調理業務をしながら尚且つ、ベルト上に何を商品提供するかを一時も油断することなく考えなければならない。それはベルト上にメニュー提案をしていることと同じだ。
つまり、一般的なレストラン業務のホール担当をしながら調理業務を行うということ。
我々は極めて高度な仕事をしている、と私は思っている。
2006 / 2 / 6
まだまだ若い25才、青春真っ只中で思ったこと。3ヶ月間無職、働かないでただボーっとしていた。遊んでばかりで楽しかったのは最初の一ヶ月。二ヶ月目からは生気を失ったような感じになった。何ひとつ良い方には考えられなかった。暇なもんだから、全部考えすぎてしまう。家の中でただゴロゴロしながら・・・・・考えることはロクな方向へ行かない。
あの時、本当に思った。
「働けること」は素晴らしいことだ。もし、この世の中に「労働」というものがなかったら人間は腐ると思った。本当に思った。「働くこと」は義務じゃない。
無理して働かなくたっていい?違うんだ。働くことは「権利」なんだ。
2006 / 2 / 5
明後日、7日は2007年度の新卒採用でリクナビライブに出展する。たくさんの学生に会いたい。興味を持ってもらえるかもらえないかは分からないが、我々の外食産業も捨てたものではないことを感じて欲しい。
ニートやフリーターなどと社会問題化しているが、働くことは何も辛いことばかりではない。
我々の仕事は、たった今自分たちが作った商品が目の前で評価をされる。ときには怒られ、顔も上げられないくらいふさぎ込む。ときには満面に笑みで喜ばれ、まるで「至福のひと時」のようだ。
両方・・・・いいではないか!それが人生じゃないか。そうやって繰り返して・・・・・いい顔になる。
オレ?・・・・・・・もともといいから。
2006 / 2 / 4
本当に久しぶりに塾長例会に行ってきた。塾長にお会いするのも数ヶ月ぶり。経営問答で話しをされる塾長の言葉の一言一句を聞き漏らすまいと必死だった。その感覚も久しぶり。寝ていた細胞が蘇ったような感覚。今回は、どうも最近よろしくない自分に助けを求めにいったようなもん。失礼な言い方だが、やっぱり塾長は最高の特効薬だ。懇親会で歌手の「MIKIKO」さんのマイウエイに涙が流れた。自己嫌悪と自分に対するはがゆさか。
よし!がんばる!
